妻が始めて札幌の知人宅へ泊まった朝、夢うつつでいると部屋に飾ってある遺影の老人が妻の枕元で、遠い四国からようお出でなさったと挨拶したそうである。驚いて起きて老人のことを尋ねたところ、この老人は明治末期に淡路から一家を上げて北海道へ移住し、想像を絶する冬の厳しさに妻子に逃げられ、精神的に非常な苦しさの中で亡くなられたらしい。
知人は老人の身寄りか、菩提寺か、位牌の収まるところを探してくれるように私に依頼した。手掛かりとして残っていたのは大正の初めに取り寄せた戸籍謄本一通であり、そこに載っていた人たちはもう既に故人となっていた。その後淡路の町役場で閲覧した除籍謄本では既に身寄りは死に絶え、昭和27年絶家と事務的な付箋がついていた。
老人の激しい望郷の執念を背中に感じながら、老人の先祖の戒名を頼りに寺を訪ね歩き、半ばあきらめて最後の寺に立ち寄って居合わせた住職の奥さんが持ち出した過去帳に該当する戒名を見出した時、老人はようやく帰る場所を得た。
老人が北海道へ渡ったことを淡路で証明するものは何もない、土地の九十になる翁が子供のころ、そんな話を聞いたが忘れたという。
白髯の老人が幾百夜、夢見た淡路へ帰ってゆく魂を迎えるものはきらきらと輝く播磨灘と平安の昔から続いている菩提寺の甍だけかもしれない。
再び報告に行った札幌から帰る日、北海道の空はただ暗く、針葉樹の林も永遠の冬に閉じ込めらているように悄然としていた。
しかし、今度老人の写真にお目にかかれるときには望郷の念を果して満足そうな笑みをたたえているに違いない。