旅日記その2

ぐるりと北海道 −北の秘湯を駆け足の旅−

 

 

目 次

まえがき−夜のサッポロ−丸駒温泉−雷電朝日温泉−神威岬−小樽にて

留萌天塩から宗谷岬宗谷岬オホーツク海に沿って知床半島で

ウトロからラウスへ根室岬より弟子屈へオンネトーと然別湖

幌加温泉-黒岳へ登る

 

 


留萌

 岩見沢で高速を降りて旭川へ向かう途中、日本海を見たくて左へ折れ、

今日の宿泊は留萌と決めた。

 留萌も明治の頃は、鰊の漁場で四国あたりからも出稼ぎがでたが、冬の

厳しさに耐えられず逃げ帰った人も多いらしい。

 駅前のまだ新しいビジネスホテルへ泊まることにした。フロントへおやじさ

んが出て来て、シングルは一杯でツインしか残っていないのだという。ツイン

でいくらかと聞くと、「さあっ」と云ってしばらく返事がない。そしてボソボソと、

 「シングルで四千円だから、二人だと・・・」と、云う。

 「ツインが八千円だと誰でもシングルへ泊まりますよ。日本中、ツインがシ

ングルの倍だという料金がありませんヨ。」と、云って出ようとすると、

 「いや、あなたの云うのも理屈だ。じゃ、一人五百円引いてどうですか。」と

云う。

 シングル四千円、ツイン七千円とすれば相場だから前金を払って泊まる

ことにした。しかし、ビジネスホテルで値段の交渉をしたのは生まれて始め

てである。この宿の主人は、旅館の感覚が抜けていないのだろう。とにかく

面白い体験をしたものである。

 

 イカ釣り船が何隻か浮かんでいる。船室の壁に白いペンキで勇ましい文

句を書きなぐっているのはトラックと同じである。

 海で釣りをしている人もいる。皆長袖のシャツを着、ジャンパーを着ている

人もいる。この暑さに対し、内地とは皮膚感覚の差があるのだろうかと思う。

 港を回ると草ぼうぼうの踏み切りがあった。廃線らしく信号も半分折れ曲

がっている。

 北海道は赤字線ばかりで国鉄の経営も大変であろうが、こんな広い大地

で鉄道がなくなるのは大変なことである。採算というのはわかるが、行政に

採算がいるのであれば、市役所だってその他の行政機関だってすべて採

算性をとればよい。各地に似つかわしくない程大きい市役所が建つのをみ

ると、何かちぐはぐな感じを持つのは私だけだろうか。ないのならばともかく

、取りはずしもしていない線路が朽ち果てていくのを地元の人達がどんな思

いで見ているのか、廃線反対運動に熱がはいるのを現地の様子をみれば

よくわかる気がする。

 


天塩から宗谷岬

 今日は、一路稚内へ向かって日本海岸沿いを走る。

 国鉄天塩駅は、国道から右へ入り込んでいて少しわかり難かった。駅舎

も変わっていて一見、国鉄駅風ではない。駅前の食堂はメニューが多くなく、

ラーメンを注文することにした。

 「塩ですか。」と問うので、「バターにして下さい。」といったが、北海道は

どこでもラーメンの種類を云わなければならない。

 天塩から左へとっていよいよダートにはいる。前から来るトラックが猛烈な

砂塵を巻きあげてくる。積丹でも、幌加から層雲峡へ抜ける道でもこのダー

トだけは願い下げという気になる。

 しばらく行くと、見晴らしのよい処に展望台がある。このあたりは既にサロ

ベツ原野に入りこんでいるのだろう。右を向いても、左を向いても茫々たる

眺望である。左前方に海に浮かぶように利尻富士が半分雲に隠れながら

姿を見せている。中都市に住んで周囲の箱庭的な眺めになじんでいる眼に、

この空漠たる依りどころのない眺めは脅威ともいえる。またしばらく行くと、

流木の浜が見えた。

 流木のかげにハマナスが一本咲いている。青白い流木は漂泊を続けて

来た貴婦人のようであり、寄り添うように咲くハマナスの花は地元のアイヌ

娘にたとえられる。

 「恰も流浪の貴人を慕うアイヌ娘のように遙か彼方より漂い着いた流木の

傍らに 一本のハマナスが咲いていた。」と、いう一篇の詩が出来上がりそ

うである。

 道はダートと舗装路と工事中の道路を交替で繰り返し稚内へ近づいて来

た。直接稚内にはは入らずに右へ道をとるとノシャップ岬へ出る。

 岬は、ノシャップ寒流水族館の裏側のコンクリート舗装道路に一本の標識

が立っているだけで何だか侘びしい。

 


宗谷岬

 稚内では目当てのうに丼をと思ったが、時期が過ぎたと云ってない。メニ

ューの鮭親子丼(小樽で美味しかった)、帆立丼、どれもない。あるのは蟹

丼だけだと云う。

折角、ガイドブックに載っている店へ来ているので残念である。仕方なく盛

り合わせの刺身をとったが、変わりばえのしないネタですっかり期待はずれ

となった。これはバツだ。ここから電話して宗谷岬の民宿に宿をとったので

早々に出発する。

 宗谷岬は、土産物店と二輪車族の世界である。

 北の果て、日本の最北端とあちらこちらに大書きされている。終始レコー

ドがかかっていて、「ハマナス揺れる宗谷の岬・・・」と、メロディーを流してい

る。少し小高い丘に登ると旧海軍の望楼があり、明治にはバルチック艦隊

を見張っていたらしい。

望楼よ わだつみの果て 北の果て

 望楼から眺めるオホーツク海は静まりかえって、遙かに天と地がおぼろ

に混ざり合っている。

 ここに限らず北海道は単車で旅する若者に占められている。中年が束縛

され、管理されて自分の時間をほんの少ししか持てないのに、この若者た

ちの自由さは陳腐ながら日本は平和だと思わざるを得ない。この若者たち

も、もうしばらくで管理社会に組み込まれ、時間を奪われるのだからほんの

少々羽根をのばしても仕方のないことだろう。

 


オホーツク海に沿って

 大きな風車の家があった。サルフツ原野の端のオホーツク海沿いの国道

は唯々一筋に南下している。茫々たる眺めの中に奇妙にも見える風車であ

るが、周囲の風景にマッチしているから妙である。何にも妨げられない国道

をラリーのように車の群れが走る。ときおり町に出会うが、これはあたかも砂

漠の中に見付けたオアシスか、はたまた果てしない荒野を走って辿り着いた

駅馬車を迎える開拓の町の趣がある。

 浜頓別を過ぎ、北見枝幸にかかると国道沿いに「カニ直売」の看板が眼

につく。一軒立ち寄ると人がなかなか出てこない。やっと出て来たオバさん

に蟹のことを尋ねた。毛蟹はもう大きいのは売り切れたとのことでやや小

ぶりである。

 以前、釧路の大和市場で購ったものは、身が一杯詰まっていてワインを

片手に食べると生きている喜びを感じたものだが、これが水のはいったも

のであれば台なしである。カラを開けて食べてみないとわからないところが

困る。

 一方、花咲蟹は真っ赤でなりも大きいのが多い。鉄砲汁という蟹をバラし

て汁にぶち込み、味噌味で食べる方法は聞いているが、この蟹は内地まで

は出荷されないのか今まで食べたことがない。

 

 蟹の話はさておき、更に南下し興部、紋別を過ぎ、サロマ湖にさしかかっ

た。分かれ股で左に道をとればサロマ湖の二本の腕のような砂嘴に行くの

だが行き止まりになる。ここで、道を右にとって湖の横を通っているのだが、

少し離れていて全然湖が見えない。しばらく行くと峠にさしかかって急に展望

が開け、突如という感じで湖の風景が広がった。

 佐呂間で少し寄り道して湖のそばまで行ってみた。辺りは、リゾートゾーン

で売店あたりは活気を呈しているが、ホテルは建築中でまだオープンされ

ていない。まだこれからという感じだが、もうそろそろ秋にかかってくるのに

どうなるのだろうか、他人事ながら気になった。

 網走に着いたのは午後二時過ぎ、以前来たことのあるホテルのレストラン

で食事をすることにする。ここの食事はボリュームがあって好きである。ここ

から電話してウトロの宿を確保する。あとは一路斜里の原生花園を横目に

オホーツク海沿岸を走り抜けるだけだ。

 


知床半島で

 網走から駆け足で途中でオシンコシンの滝を見たものの、かなりのスピー

ドで飛ばし、ようやくウトロへ着いた。着くとすぐ岩尾別温泉へ出かけたが、

途中からダートに変わり盛んに車の下で小石がはねる。知床五湖へ行く道

を途中で右に折れると温泉まで一本道である。周囲の原始林が、秘境知床

の名の通り映そうとしてせせらぎの音が耳に心地よい。

 ホテル「地の涯」は、近代的な建物で秘境には似つかわしくないが、知床

が有名になって観光客が押し寄せるようになるとこんなに変貌するのもや

むを得ないことだろう。温泉の湯は、食塩泉で特にどういうことはない。洗い

場の丸太をくり抜いた水槽が珍しい。

 夕暮れも迫っているので早々に再びウトロへ引き上げたが、海岸へ出て

適度日没に行き当たった。オホーツク海に沈む夕陽を見ているとどこの海

へ沈む夕陽も同じ光景ながら特に北の海というところに特別の感慨が湧い

てくる。

 夜、お土産物屋の立ち並ぶ海岸通りを抜けて港へ出た。

 ぶらぶら行くと停まっていたアベックを乗せたカローラが猛烈な勢いで走

り去った。

 


ウトロからラウスへ

 堤防の上から夜のオホーツク海を眺めていると、波がテトラポットにぶつ

かってバシャッと小さな響きを立てる。オホーツク海のイメージは荒々しく押

し寄せる波濤と激しい風の咆哮であるが、眼の前の海は湖のように静かで、

まるで内海のようである。港には観光船がつながれていて、弱々しい灯りの

なかでコトとも音もせずに大人しく眠っている。人っ子ひとり見えないのは、

留守番は船室に引っ込んでいるからだろう。

 有名な森繁久弥の「知床旅情」は、碑になって港の片すみに佇っている。

二輪車で来た若者らは閉じられた売店の前でシートを広げ、夜床のこしら

えをしていた。

 空を見上げると雲は多いが、切れ間からの星がいつに変わらぬ青白い

光を放っていた。

 

 翌朝、七時過ぎウトロを出発して知床横断道路にはいる。

 ここらあたりも二輪車族が多い。着ているものがカラフルでそれだけでは

男女の区別がつかない。真っ黒に日焼けしていて髪を男女共に短くカットし

ている。

 知床峠は、真っ青に晴れ渡っていて羅臼岳が眼の前に真近く見える。ま

だ午前八時前だが、何台かの車が駐車場に留まり、三々五々に連れ立っ

て写真を写している。売店もすでに開店準備を始めている。

 冬期にはいると閉鎖されるこの道路は、下りにはいっても急カーブが多く、

展望が開けたところで遙か国後岳が遠望される。この国道を下りきったとこ

ろにラウスの町があるが、そのすぐ手前を左に曲がって羅臼温泉の間けつ

泉がある。一時間に一度ぐらい噴きあがるらしい。この一寸手前の反対に

右にまがったところに熊の湯の露天風呂があるが、つい見過ごしたらしい。

もう一度歩いてさかのぼると、国道に沿うに川の向こう側に湯けむりがあが

っており、場所の見当がつく。赤い橋を渡ってすぐ左へ曲がると木立のなか

にこの温泉がある。簡単な建物があり、これが男女別の脱衣所になってい

るが、風呂は露天で湯槽のまわりは丸く岩で囲ってある。湯桶に「熊の湯

同好会」とあるのでその会が管理しているのだろうが、入湯料は無料で誰

に断ることもなく湯に入れる。風呂と国道を隔てる川辺の木立が人目をさ

えぎっているが、木立を透かして見えない沢ではないので女湯の方は警戒

を要するだろう。川のせせらぎをききながら湯につかっていると、まさに別

天地である。近くにキャンプ場もあるので時間があればここに一泊して夜、

星のあかりを仰ぎながら湯にひたるのも一興と思う。

 


根室岬より弟子屈へ

 不思議なことにラウスの町なかはダートでいま盛んに道路工事中である。

 町を抜けると途端に道が良くなってここから一路標津を通って根室へ向か

う。途中、風蓮湖を過ぎて根室の街へはいると町並みが国道の左右に広が

り、北海道らしく赤や青とカラフルである。ここから根室岬まで二十キロはあ

る。岬に近づくと次第に霧が出てきて百メートル前は見えなくなった。霧は朝

霧、夕霧と決まっていると思っていたのに、昼頃この岬あたりだけに霧がた

ちこめるのは感覚的についていけない。

 ノサップ岬に到着した途端に霧は薄れて国境の海が見えだした。望遠鏡

で覗くと、ソ連の警備艇が遊弋している。北方四島の問題もここでは本当に

身近かである。日本の国境はすべて海で、日頃は国境の感覚はないが、水晶

島とノサップ岬の間に一線が敷かれ、警備艇がいる現実の臨場感は何とも

云えない。一見、売店もあってのどかな風景のなかであってこそ、その不気

味さを感じるのである。

 再び根室へ引き返し、その足で花咲港へ向かった。思ったより遠く、しか

も港付近はあまり食べ物屋もない。港の漁婦に花咲蟹のことを聞くと、ここ

にはないので根室へ行けという。

 仕方なく引き返す道中、ふと思い返して花咲岬に向かう。

 岬には車石といっている枕状溶岩があり、これに太平洋の波が打ち寄せ

ている。流石に太平洋、波しぶきがずいぶん離れた岩に佇っていてもかか

ってくる。今までの知名度の多い岬が変哲もないのに比べ、まことに豪壮で

ある。根室へ引き返してすし屋を捜すが見つからない。さんざん歩いて、よ

うやく一軒見つけて入った。根室では、握り鮨とは言わず生寿しというらしい。

赤だしを注文すると、「赤だしとは何だ。」という。「赤味噌の味噌汁だ。」と

いうと、「赤味噌とは何だ。」というので、説明をやめて花咲蟹の汁を注文す

ると、「ああ、鉄砲汁ですか。」と云う。何故、鉄砲汁と云うのだろうかよくわ

からない。食べ終わって隣の魚屋へ寄った。この魚屋が鮨屋を経営してい

るようで新鮮な魚が沢山並んでいる。夕食に民宿で料理してもらおうと鮭と

ホッキ貝を購って、随分うろうろした根室を発った。

花咲岬(車石)

 ここから別海村を通って中標津に抜け、左に折れて弟子屈に向かう。根釧

原野を通り抜けるのである。有名なパイロットファームもこの辺で、ところど

ころに入り口の標示があった。弟子屈へは陽のかげり出した午後五時ごろ

に到着した。

 弟子屈の町もずいぶん道を掘り返している。行く先々で道路工事ばかり

であり、夏中にしないといけないのだろうが、全体では随分な規模になるだ

ろうと感心した。

 民宿のオジさんに「では、温泉に入りに参ります。」というと「いや、うちも

温泉だ。」という。要するにどこを掘っても温泉が出るのかも知れない。以前

川湯温泉へ来た際、硫黄山へ行ったが弟子屈はこの硫黄を運ぶ要路だっ

たようである。弟子屈の町をうろうろと、残り少なくなった財布の中を気にし

ながら身のまわりの品々を購いそろえ、宿に帰り着く頃は暗くなってしまった。

 


オンネトーと然別湖

 弟子屈から阿寒湖横断道路を通って、阿寒−足寄−士幌−幌加へと向

かうのが今日のコースである。

 途中、双湖台には朝八時過ぎというのに観光客が多い。阿寒湖から摩周

湖へ向かう黄金道路のせいだろう。雄阿寒岳の勇姿が印象に残る。しばら

く走って阿寒湖畔に着く。ここは完全に観光地化され、土産物店も多く、内

地の観光地と大差がない。湖畔では、アイヌ衣装を身にまとった団体客が

記念写真をとっている。

 北海道ツアーが盛んであるが、こうした観光化されたところばっかりバス

でまわされて北海道を知った気になるのは少し恐ろしい気もする。

 阿寒から足寄への道路を途中で左に折れ、原始林の中をつっ走る。二分

走ったところで左側にようやくオンネトーが顔をだした。阿寒湖と違って一軒

の売店もなく、まさに山と湖のひっそりとした風景である。湖に手を浸すと冷

たくて心よい。北海道へ来ていると実感する一瞬である。

 足寄、士幌を過ぎ、やがて幌平の町に入る。ここから道を左にとって然別

湖へと向かう。

 然別湖畔はにぎやかであるが、マイクが流行歌謡を流すような騒ぎはな

い。湖は水面に絶えずさざなみがあってキラキラと輝いている。観光船の乗

組員も素朴な感じでまるで農夫がアルバイトでしているといった風にみえる。

 観光船は、湖を横切って向こう岸に人を渡した後、ぐるっと弁天さんを祭

った弁天島を一周するようにまわって帰ってくる。周囲を山で囲まれたこの

湖は、人の眼に触れるまで随分時間がかかったのだろうし、神秘の湖であ

ったこともうべなるかなと思われる。

然別湖の遊覧船

 湖畔にある山田温泉は、いま学習塾の宿舎として貸し切りで入湯するこ

ともできない。温泉が貸し切りにされることは想像もつかなかったが、噂に

ひかれて遠方から来る客のためせめて入湯させるぐらいの配慮はあるべ

きであろう。再び幌平にもどり今夜の宿、幌加温泉へとダートへの道をすす

んだ。

 


幌加温泉

 幌平からダートをしばらく走り、左に折れると幌加温泉に辿り着く。車道の

行き止まりに二軒の宿舎があり、手前の宿が幌加温泉のである。宿の構え

は温泉宿というより明治時代の小学校、もしくは開拓時代のアメリカのホテ

ルという感じである。

 早速、温泉に入ると浴室はかなり広く、湯槽の一方は硫黄泉、もう一方の

せまい方は食塩泉である。湯質の違う温泉が一つの浴室にあるのも珍しい。

 虫がはいるからと窓を閉じているのでとにかく暑い。時々窓を開けて外の

空気を吸う必要がある。夏の湯はじりじりと暑いが、吹く風はひんやりとして

八月月初にも拘らず、はや秋近しの感じである。典型的な療養温泉らしく七

時過ぎにはもう宿泊客は床についている。

 隣室に若い客が二人居て、飲み足りないらしくビールの注文をしているが、

女中さんの機嫌が悪い。

 この宿の少し下に自炊宿があって、ここにも温泉がある。この方も一寸挨

拶しようと入りに行く。

 川から引いてある温泉はかなりの高温で、いま温泉を湯槽に入れたとこ

ろとかで随分熱く一分と入っておられない。一方の食塩泉の方は適温でゆ

っくり浸れる。

 朝鳥の鳴き声で眼を覚ました。いっとき朝餉の時間を過ぎるとまた静寂が

戻ってきた。洗顔も温泉で、水の方が貴重のようにみえる。

 こんな人里離れた温泉で何日か過ごすことが出来れば、蓄積されたスト

レスも吹っ飛ぶに違いない。たった一晩の泊まりであったが、心の残る温泉

であった。

 


黒岳へ登る

 層雲峡からロープウエーで黒岳駅へ、更にリフトで七合目まで登る。本日

はまことに晴天で絶好の登山日和である。七合目から上は足で登る他にな

い。幸い貸し靴をしていたのでジョッギングシューズを借り、ついでに靴下と

ナップザックも購う。入山事務所で記入の上、岩のごろごろ道を登りにかか

る。八合目あたりへ来ると急に霧が湧いてきて周囲を覆い隠してしまう。ロ

ープウエーやリフトという近代的乗り物で来ただけに高山に来ている実感が

伴わないが、二千メートル近い高さである。登山客は多く、まさに列をなして

登り下りしている。なかには、ワンピースを着た手ぶらにジュース缶を一本

提げて登っている中年女性も居る。しかし、登りは急、その上石ころ道で足

場はない。不鍛錬な身体にたちまち汗が吹きだして上半身びしょびしょであ

る。ようやくのことで頂上に登るといきなり展望が開け、周囲の峰々には処

々雪渓を抱えて超然と佇っている。眼の下には小さく黒岳石堂の赤い屋根

とそこから数本の登山道が走っているのが見える。

 黒岳石堂への下り道は思ったより険しい。周囲の草原には高山植物が可

憐な花を咲かしている。あちらこちらで本式の登山スタイルをした中年がカ

メラで花を写している。

 石堂から東に旭岳の方へなだらかな上り道を行くと、ここはもう初秋の感

じである。

左側の噴火口には、有毒ガスが発生しているので立入禁止である。お鉢の

端まで来たところですっかりダウンしたので岩にもたれていると眠くなってく

る。吹く風は涼しく良い気持ちになる。雪渓まで行ってジュース瓶の空き瓶

にくんでくれた雪渓の溶けて冷たい水を飲んでから帰途についた。

 ようやく黒岳駅に戻ると午後二時になっている。朝の九時から登ったので

五時間は経っている。ソフトクリームを二個むしゃぶるように食べて、ようや

くひと心地のついた感じになった。


 

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