谷口幹男 百句集

 

死神の馬のいななき聴けよ妻

亡友よ亡友よと呼び戻す深い闇

不眠症座敷の隅に邪鬼が居て

サラブレッド見てた卑屈は過去のこと

アルコールの酔い透明な微風あり

食パンをミルクに漬けて青年よ

梵天も菩薩もごちゃごちゃと半睡

オルゴールどうぞ昔の傷みなど

凶悪な闇まどろめば只の闇

陽炎の大地へ女神降りてくる

ライバルへ贈る言葉にある本音

石蹴りの石にされてる勤め人

腰痛を抱え五十の未来像

犬小屋の皿にこの家の美食好き

梅雨ですなカミュのOXも空いて

父の謝辞今日は太郎に嫁が来る

冷ややかな闇の笑いへ耳を貸し

計数へ皆それぞれのポーズあり

金利はどうだソースのしみも気になるし

同僚がまた戦死した晴れの日に

春過ぎて哀しみ少しずつ溜める

血圧は気にしてないが降下剤

緑増す山脈に負けてゆく老いか

コンクリートの罅から浸みてくる怠惰

男の背に華やぎは少しだけ

ポケットに手を突っこんではやり唄

落葉堆積オイチニオイチニとおとこ

カラオケに埋没しつつ銭のこと

男たちの唄は軍歌へ傾斜する

酔い果てていま嬌声の底にあり

おでん屋のグラスわたしも四面楚歌

ひいふうみい河の向うに他郷の灯

雪原を踏んで男の美学など

冬の陽に孤高を保つ麒麟の眼

霧ばかり株価急落へメガネ

蛸のおでんで茫然と金利など

うどんつるつるつると共に老い

虚脱感陽気なママと演歌など

肩張った正義へ回りから太鼓

異常接近ママは尾翼で振り切って

ぼろぼろの案山子意外にいやらしい

母狸子狸塾へ日暮れ時

スナックの扉もの憂く菜種梅雨

春の朝ですよと神社灯をともし

煎餅をボリボリと喰べ余命など

のど飴を口に街では風強し

春や春事務服の娘が駈けぬける

マラソンが背広の列を追い抜いて

華やかに家具市がある他郷の空

焼肉を妻と平和に喰べる初夏

春や春職安へ行かねばならぬ

ガラス扉を透かしてちらと見る女神

どこもここも童話にしてる春の笛

無職渡世のゆったりと歯を磨き

銭湯の壁のカモメは翔ぶばかり

三つ葉ツツジが咲く黄金の時間

自由とは春のレールと時刻表

華やかに少女ら通る垣のバラ

山地図を拡げて雪を幻視する

快晴に枯れ葉を踏んでひと嫌い

眠れぬ夜熱帯雨林現われる

独居して花のワルツと風の音

野も山も光溢れて無為徒食

無為徒食波の高さを見てる日も

にぎやから汐引いて行く幼稚園

魚匂うこころは満たされぬままに

大根はすくすく育つ定年後

異郷とはシェルパが踊る月明かり

トラックの上で陽気な山の民

春浅くいま群雀に居る安堵

するすると胡瓜が伸びていく午睡

超ミニの娘ら駆け抜けて海べ夏

天帝はいづこに在わす寒月夜

父の声らしい過去からの風に

トンネルの向うの空は愛すべし

ライターの炎めらめら降魔かも

惑星の騎士待つうちの眠り姫

華やかに孫の呪文で雪が降る

遊園地想いは過去へ加速する

ネクタイの呪縛ほどけてきた無職

すぐ軌道逸れる仲間と裏酒場

春の天鳩一斉に翔びたって

亡父と居て刻み煙草の匂いする

焼夷弾の話をして春の午後

泣き顔の少女が過ぎるゆうべの夢

昼の墓地ここを支配するのは過去

春の菜園はテントウムシのサンバ

七月快晴無職は洗濯物と居て

野の光喪うものは何もなく

子は四十近くに老樹は赤い実を

風の駅いま愛憎を遠くして

チューリップ薬に飽いたぼくの眼に

わらび野に蛇は鎌首持ちあげて

甘酔っぱい記憶に野火の匂いがする

てのひらの石の重さは過去の負荷

煙突のある島へフェリーはゆうらゆら

気がつけば老父の位置に坐るぼく

去る人の背へ柔らかく草萌える

海穏やかに少年がたつ切符

ぜい肉がつき失って行く月日

 


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