自句自解

 

  荒涼の野に捜すもの妻よ子よ

古希を過ぎての老いの身の心象風景は寒々とした荒涼の野である。

この枯れ野で捜すものは若い日の妻で有り幼いわが子の姿だ。

還らない日々を想う一時である。

  荒涼の野に捜すもの妻よ子よ

 

 心象の地図飛んでゆく蝶二頭

詩人、安西冬衛の一行詩に

 てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った

というのが有って山口誓子は「誓子俳話」のなかでこのロマンを俳句と関連ずけて語っている。 

僕も遥かな地を飛んでゆく蝶を束縛されない自由として心の中に思い浮かべている。

 心象の地図飛んでゆく蝶二頭

 

 往生楽土その果てに破れ僧衣

無量寿経ではすべて生きるものは無量寿如来の名を聞いて往生を願うならば仏の力でたちどころに

往生する身となれるとしている。 破れ衣を纏って荒野を歩く僧の姿を自分と重ね合わせて無為な日々を過す自分を反省する。

   往生楽土その果てに破れ僧衣

 

 雪は降りますかわたしを埋めるまで

山陰の関金温泉に遊行した日、深夜にしんしんと音もなく降る雪を眺めて、ふと高村薫の「マークスの山」の映画シーンで主人公の殺人犯が日本第二の高峰北岳の頂上で雪に埋もれて死んだ姿を思い浮かべた。

  雪は降りますかわたしを埋めるまで

 

 


 

目次へ