川柳に思うこと
徘徊の父は亡き母捜すらし
孫に言うあなたの母はあちらです
添い寝して姑は私の子になった
これらの句は最近の柳誌から拾い読みしたものである。私は前々から生活実感の上に立つ川柳をと言ってきた。川柳が虚飾の衣に包まれていたずらに文芸的であろうと、ガラスの上で踊ることは自分も同じ体験があるだけに反省がある。
流れ藻に神の午睡は深くなる
獣神に凝脂の四肢が横たわる
萌えるときの乳房は神に許される
ある時期はこんな句を作る迷路にいた。
しかし、冒頭に掲げた句を見ると幻でないしっかりした土台があり、何より作者の実感がある。。話は変わるが、最近始めた私の川柳教室で生徒さんらは「川柳を作ることが楽しくて、夜寝る時枕もとに神と鉛筆を置き、想いが湧くと10句でも20句でも書いていく」そうである。人は誰でも自分の思いを文章にして発表したいと言う創作欲がある。たまたま、川柳に出会い5・七・5のなかに自分を写したい欲望に駆り立てられる事になるのは当然である。噴出する想いをあれもこれも全部言わなければならないので混乱し他人が見ると言葉が飛び跳ねているか、句と言うより文章の切れ端になっていることが多い。 しかし初心の頃の川柳をつくりたいという創作欲は次第に薄れ、義務的に毎月4句の出句に精一杯になっている自分を見ると初心の頃が懐かしく羨ましい。指導としては色々の思いの中のひとつを取り上げシンプルに他人に判り易くと添削するのだが、形にはめると想いの躍動感が薄れ原句の荒々しい新鮮さが失われているような気になる。
川柳を作りつづけて10年、20年、技巧の上では立派になっていくが、いかにも手馴れてきて作者の感動が伝わり難くなって行く。川柳とはなんだろうか、どこに出口があるのだろうか、と言う思いはずっと続いている。
川柳を社会詩と見るか、風俗詩と採るか、これは東京と関西の柳誌の流れの中にある。短歌や現代詩の仲間からは社会詩としての川柳の捉え方を言われ、すぐ鶴彬が出てくるが、風俗誌として捉えてきた私には、社会性という観点の必要性を言いながら、そちらに傾斜できなかったところがある。考えてみれば短歌の三十一文字は社会性を詠むのに達意のところがあるが、十七文字ではどうしても舌足らずになる。私はやはり日常性の中で社会を捉えて行きたい。
又冒頭の句に戻るが
(第1句)惚けて徘徊する父には妻は生きており、妻を捜す父に切ない思いに感動する。
(第2句)現代のおばあちゃんは孫の守りよりも自分のカルチャーで忙しい。すぐおばあちゃんに押し付けがちな嫁へ一言と言うのは分かる。
(第3句)どうしても介護と言う問題に突き当たる。難しかった姑も何かと嫁に頼るようになる。私の隣りのベットにいた人も娘も良く来たが、どうしても嫁さんが主力になっていた。
「ふあうすと」創刊号で椙元紋太師は、「僕らはただ僕らの姿、ありのままを表現し思うままを示す事に努力しさえすればよい。僕らは先生でも弟子でもない(中略)現実に僕らはなんともあれただ川柳を真っ向に頂いて精進するのみである。それをたすけるのが<ふあうすと>の存在である。」と力強く宣言している。この力強い言葉を杖に今後も川柳を続けて行きたい。
(ふあうすと誌 平成13年8月号)