巻頭言6 添削について
谷口幹男
僕のホームページ「せんりゅうのお部屋」は平成12年8月に開設以来現在5,123
人の訪問者を数える事となった。このプロローグで次のように書いている。
「川柳は人間を観察する詩です。人間は笑い、怒り、哀しむ。川柳は平凡に生活し最後に死んで行く人間を詠む。また着飾った人間を素裸にし、人間の本音を詠む。川柳は人間を差別せず、一生懸命に生きてきた大勢の人間たちの人生を詠む。」
僕は川柳を昨日始めた人も昔から作っている人も皆同じ仲間で、何の差別もないと思っている。
呼びようがなく先生と呼ぶ役所
という句を詠んだが、行政が先生と言い出して先生と呼ぶのが流行って来ている。
ただ、川柳教室では講師を先生と呼ぶので僕もそれに甘んじている。
少し話がそれたが、「せんりゅうのお部屋」には「せんりゅうの広場」というコーナーがあり、投句の添削をしている。今までの添削は
(原句)覗き見てほっとしている胃のカメラ
新所帯部屋に春の日覗きくる
太め見てふくよかですと世辞を云い
(添削)胃カメラで覗かれ医師は太鼓判
新所帯あらら朝日に覗かれる
ふくよかなオバサンですと言うお世辞
などがある。(もし添削がご希望なら「せんりゅうのお部屋」か「谷口幹男」で検索してください)
添削の場合、僕は川柳には(素材)と(表現)の二つがあり添削できるのは(表現)だけだと言って来た。(素材)は作者のものでありこれに手をつけられない。いわば素材は(実)の部分であり表現は(花)である。添削者はいかに花を美しく見せるかと工夫するのである。最近添削の作業が多くなってきているが僕は以上を信条にしている。