巻頭言8 「定められた時間」
確か瀬戸内寂聴さんの「釈迦」という著書にあったと記憶しているが「定められた時間」という言葉に感銘を受けている。 というのも昨年12月もとの勤務先の上司、同僚が相次いで亡くなり、それも二人は同日に葬儀が行われた。
参列した仲間の一人が「俺はもう遺影を用意しているのだ、みっともない写真が飾られては堪らんからな。」と言いまたほかの仲間は「お前が先に逝ったら弔辞を読んでやる、俺が先なら頼むな。」とも言った。以前は父親と同年輩の人々の死亡欄を見てまだまだ先とあまり関心もなかったがこう身近になってくると感じざるを得ない。
所詮人間は「定められた時間」の中で悲喜こもごもの暮らしをしているのは判っているが残された時間をどのように過すのか迷うのみである。
「明鏡止水抄」に僕の句
秋の蚊よお前も共に生きようぞ
を載せて頂いたが心細い今の心境だ。
かって川柳で救われるのかということが論争になったことがある。
療養作家だった大井戸鳥起さん(ふあうすと同人)が晩年に川柳を捨てたことに山本芳伸さんは
「川柳をあんまり突き詰めて考えていただけに、川柳を作る重荷に体力的に耐えられず、むしろ救われる宗教に晩年を打ち込んだのでないか」と川柳では救われないとしたのに対し、番傘同人だっあt藤原葉香郎さんは一療養者が「川柳を作っていることで自分が救われる」といった言葉を引用して川柳は救いと反論した。
僕も川柳誌の投句欄で高齢の方が病床からも投句しているのを知っているだけに川柳がある人にとっては救いになっていることは知っている。
しかし僕自身にとっては救いだという気にはなれない。僕にとっては「定められた時間」の中での僕の記録だからだ。
2000年に親しい友人が亡くなったとき
死神の馬のいななき聞けよ妻
亡友(とも)よ亡友よと呼び戻す深い闇
と書いた。花野を夢見ながら彷徨う法師のようにこれからも僕も生きてゆくのだろう。