現代川柳講座(一)

 

 

 序にかえて

昨年、四国新聞文化教室で行った川柳講座を編集室のご要望により再録

しました。川柳というものはどのようなものか、いささかでもご理解の手助け

になれば幸甚です。

 川柳の略歴(一)

 皆さんは何かの機会に川柳ということで聞かれたものに

  盗人をとらえてみればわが子なり

という句があるでしょう。しかし、これは厳密に言うと川柳というのではなくて

「前句附」なのです。この後の句は

  斬りたくもあり斬りたくもなし

と続きます。このように七七の前に付句の五七五がつきますので「前句附」

というのです。

 「前句附」は俳諧のけいこごととして連句を勉強する一つの方法でした。

 では俳諧というものはどんなものかと言うと芭蕉の「猿蓑」の第五巻歌仙

集から例にとると

  ほつれたる去年のねござのしたたるしたたる     風兆

  芙蓉のはなのはらゝとちる     史邦

  吸物は先出来されしすいぜんじ     芭蕉

  三里あまりの道かかえける     去来

とつづいて行くのです。

 この俳諧が庶民にひろまるにつれ簡易化されて、二句立ての簡易俳諧が

はやります。そして、内容も卑俗化されて、後句は奇抜なものが好まれるよ

うになり、例えば

  出たり入たり入たり出たり

  子ごころに蚊や珍しきつり初め     (元禄十四年刊 俳諧絹ばかま)

と、前句附と変わらないものとなります。

 前句附は付句の奇驚な観察や、着想の妙を競うことと、平易さをあわせて

爆発的な人気を呼び、俳諧師が点者になって前句を出し、一般からその附

句を懸賞づきで募集する一種のゲームになりました。点者というのは現在の

言葉では選者ということで、応募者は一句につきいくらという句点料を払って

句を出し、その句が最高点をとると絹一反が賞品となるといってシステムで

す。俳諧師はこの点者になることで、万のつく句が集まれば句点料で莫大な

収入をあげたそうです。点者のなかで柄井川柳という人は三十余年この道を

続けて、この選は川柳点と呼ばれて有名でした。川柳点のなかの高点句を

集めて一枚のすりものにしたのを「暦刷」と言い、投句を集める催し、つまり

句会めいたものを「万句合」といいました。明和二年(西暦一七六五年)に

星運堂という本屋から呉陵軒可有というひとが柄井川柳点の万句合の暦刷

から前句を除いてもわかる附句だけを抜いて編集したものが「誹風柳多留」

という本で、この本は初篇から二十三篇までは川柳点の句を集めて出版さ

れたのです。現代に続いて古川柳というのはこれです。一寸むずかしい話に

なりましたので具体的に「柳多留」初篇から句を抜いてみましょう。

  五番目は同じ作でも江戸産れ

  かみなりをまねて腹掛けやっとさせ

  古里へ廻る六部は気の弱り

  ひよひよの内は亭主にねだりよい

  鍋いかけすってんぺんから煙草にし

 初めの句は六阿弥陀の仏像の第五番目が江戸下谷広小路の常楽院に

あったものを言い、他の五体がいずれも江戸近郊にあったのに対し、これ

は江戸生れだぞという江戸っ子の意気と鼻柱の強さをいってるもの。第二

番目はおわかりと思いますが、雷様は臍をとると子供をおどした句。また第

三句は一心発起した六部=全国を廻る法華行者をいう=も身のおとろえと

ともに古里へ足が向く人情を詠んだもの。第四句のご亭主にねだるのは子

供の着物。ひよひよの内は着物もやすくてねだりよいが成人式を迎えると

何十万という値段でとっても大変というのは現代でも同じですね。第五句の

鍋いかけは鍋釜の修繕屋さん、普通なら仕事が終わって一服するものを、

まず火を起さないと商売にならないので、その間最初から煙草にするという

可笑しみを詠ったものです。

 では次回は川柳の略歴(二)へとすすんでいきたいと思います。

 


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