川柳の笑い(二)
前回に続いて笑いの分析をつづけます。笑いの一方である挨拶の笑いは、
いわば見つけられる笑いであって、例えば、
(正体暴露)
技官事務官麻雀がみな強し
(誇張)
一票の差でやけ酒と祝い酒
(模倣)人間を物として扱う
それいゆの十三頁闊歩する ※それいゆは婦人雑誌
(擬情)物を人間に見立てる
胃袋に届いたラムネから返事
(位置顛倒)二つの物の間の不調和
山伏の足を固めたズック靴
(軽格)人をやや軽くみる
お洗濯ですかと同情されている ※男の洗濯
(反予期)結果が意外
ネクタイをきちんとしめて用心棒
(個性)
細い細い子供が使う三エッチ
(職業気質)
うろたえた声で証券屋は儲け
などが挙げられます。こうした笑いはある程度、矛盾を発見したときの笑い
ですが、川柳のほんとの笑いは、例えば飛鳥仏の持つ笑い、またはモナリザ
の微笑に比すべきもので、ペーソスを秘めた善意の笑いでなければなりま
せん。例句として、
口笛をいつしか吹かず係長
持ち株は金へん平和愛すれど
弱い子に弱いといわぬことにする
などを森西鳥さんはあげて説明しています。
初心者の人達が川柳の笑いといえば
大男隅で小さくなっている
白酒を飲んでみるみる赤い顔
といった、大と小、赤と白といった対比か
美人だがよくよくみれば禿があり
よくしゃべる割に儲けの低い奴
という、ひとを軽蔑した笑いを指していますが、こうした笑いは現代では句に
つくられていません。最後に有名な川柳作家椙元紋太さんの笑いの句を
鑑賞しましょう。
神様に親子五人と申しあげ
ぼうふらが金魚の前でやっこらさ
皆咲けば百花繚乱妻の庭
極楽にまだ天ありて花が降り
大笑いした夜やっぱりひとり寝る
川柳のうがち
穿った見方というのは批判精神の旺盛な川柳のひとつの特色です。前回に
例にあげた
よい女どこぞか女房きづをつけ
という古川柳がありますが、細君の心理を鋭くうがっていましょう。いちばん
わが女房という間近い存在だけに、亭主として批判精神を発揮して古川柳
で女房を唱った句は沢山あります。
そこらまで行ってわが金女房貸し
仲直りもとの女房の声になり
かご賃をやって女房ツンとする
迷子札女房の知恵で仮名で書き
女房に途中で会ってまず叱り
里のない女房は井戸で怖がらせ
最後の句は帰る里のない細君は井戸へはまって死ぬと亭主を驚かすとい
う句です。
一時、フラフープという丸い輪を腰でまわすことが流行しました。その後
抱っこちゃんという人形が奇妙なブームを呼び、老いも若きも抱っこちゃん
人形を腕にとりつけて、大道を闊歩するという現象が起きたことがあります。
抱っこちゃん納屋で待ってるフラフープ
という句をみて、ウフフと笑ったものでした。
穿ちというのは理知的なものだけに作句のしかたによっては観念の遊び
になり勝ちで、現代川柳に於いては比較的作句されていないようです。
川柳の軽み
三要素の最後の軽みというのは、平易でありながら滋味のあることをいう
もので、かなりの年期がはいらないと作句できないと一般にいわれています。
言いかえれば、笑いとか穿ちとかという一般受けするのと違い、いわば玄人
受けのする句といえるでしょう。古川柳で
床の軸親名とやらが書きなした
という句で説明しますと、親名という名筆の軸を吉原の花魁がさりげなく親
名とやらといい流したあたりに軽快味を感じるわけです。
以上の川柳の三要素は現在は古川柳を説明するためのものであって、
現代川柳はこれとかけはなれつつあります。然しながら、こうした古川柳の
素地は底流として現代川柳が全く否定するわけにいかないと思います。