老いと死 川柳  谷口幹男

 

  電車の中で太腿を露わにし大声で笑いながら喋っている少女に羨望を感じるのは老いた証拠だ。老いと死という普遍的なテーマに最初に触れなければならないのは命が続くことを疑わなかった昔に対し身近に友人たちの死を当たり前のように受け入れている現在をおぞましく思うからだ。

彼は死んだ、あいつも死んだ。葬式には行ったのか。次は自分の順番かもしれないのに。

   死神の馬のいななき聞けよ妻

   老いしかな五本の指を陽にかざし

   見てごらん蝶の死骸が床にある

   その時はその咲く花に埋もれたし

 

  この頃になって亡き父のことが思い出される。父は明治生まれの頑固さで私とよく衝突をした。独り息子だったわたしをいとおしいとは思っていたのだろうが口に出したことはない。わたしが店を開店した時、庭でつくっていたバラを一杯持ってきてくれた笑顔を忘れられない。

父の臨終の時、もう口もきけなくなった父が後を頼むと言うように私の手を力いっぱい握った感触を私は忘れられない。通夜の晩は満月、葬儀の日にはまんじゅしゃげが一杯咲いていた。

    満月へ昇って行くは父の背な

    人は皆極楽へ行くまんじゅしゃげ

    通夜の座へ遠いギターが聴こえて来る

    秋晴れのよい一日で骨拾う

 おぼろながらも老いを感じ始めたのは五十才を過ぎた頃だろうか。まだまだやれると言う思いと不安が交錯した時代だ。それから一気呵成に二十年が過ぎた。もう父の年齢をはるか超えている。

    野生馬の如く駆けたし五十来る 

   五十ひとりトランジスター鳴る荒野

 

 


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