現代御伽噺考 川柳 谷口幹男
浦嶋太郎は何時から亀に乗ったのだろうか。万葉では〈住江の浦嶋の子が鰹釣り鯛釣りほこり七日まで〉と詠み亀には乗っていない。亀に乗ったのは室町時代のお伽草子の中と研究者は言う。御伽噺も時代によって変化する。では現代で御伽噺を見ることは一つの文明批評にならないか。
かぐや姫生まれ故郷に竹がなし
金時のまさかり搭乗口で拒否
本籍は桃と書くのか桃太郎
花咲爺どんな灰だと研究所
座の文芸として
川柳が現在叙情の一行詩として位置ずけられようとしているが、座の文芸として
〈笑い〉〈穿ち〉(軽味)と言った知的センスの側面も無視できない。唯、〈笑い〉と言っても古川柳が持つ弱者を見下ろす優越者の笑い、くすぐり、艶笑的な笑いは明治の先人たちは拒否している。また、かけことばや語呂合わせも現代川柳にはない。 〈焼き飯を子供の前で食べこぼし〉のユ―モアや〈大笑いした夜やっぱりひとり寝る〉のペーソスは今後も持ちたい。
焼き豚の一切れが棲む冷蔵庫
喫茶店可愛い顔で吸う煙草
お客さん忘れ物よとまた帽子
てんぷらで食べる牡丹も花は花
山嶺賛歌
〈天地の別れし時ゆ神さびて高く尊き駿河なる富士の高嶺〉は日本人ならば一生に一度は登りたいと思うだろう。 暁の山嶺を見れば神の存在を実感する。
風寒くここは富士山剣が峰
瑞々しく生きたし風の穂高岳