やさしくて楽しい川柳添削講座(10)   谷口幹男

 

前回に引き続き題詠について述べたい。昭和32年10月号の「風車」に僕は「川柳が一個の文学としてのかたちをとるには、雑詠形式にすべきと私は思っている。題がなくては川柳を作れない人、こんな人はだんだん後に置き忘れられていくことを自覚する必要があろう。」と言っている。当時は題詠主義が一般だったが、次第に雑詠主義に移行していった。

だが、題詠は座の文芸として一つのテーマに対して皆で作句することであり、題は実体であり文字ではない。最近は一字題で読み込み可というのがあるが、飲茶の「茶」に茶目っ気とか滅茶苦茶というのはもはや題の意味を喪っている。雑詠は作者の思いを「もの」とか「こと」に仮託して詠むことと僕は思っている。その点雑詠とは区別して考えるべきではないか。

とあれ添削に移行しよう。

   (原句) 友達の豊かなバストうらやまし  泉保明子   

   (添削) 友達の豊かなバスト肩が凝り

原句は作者の思いを単刀直入に言っているが下5を「肩が凝り」とかわすことで客観的な描写ができる。

   (原句) 豊かでも心は揺れる老いの道  東原文子

   (添削) 豊かでも心は揺れている老後

物質的に不足はなくても古稀も過ぎると心は揺れてくる。これも下5の「老いの道」の表現はすこし不適切、添削句のようにすると判り易い。

   (原句) ひと言にグルメの皿で砂を噛む  鈴木貴美子

   (添削) 陰口にグルメも砂を噛む思い

原句は云いたいことは判るが言葉を整理する必要がある。添削句のように云うとすっきりする。

   (原句) 砂つけてカットバン貼ってと一輪車 福田いくお

   (添削) 砂つけた膝を払って一輪車

これも言葉が多すぎる。5・7・5の基本形を思い出して欲しい。

   (原句) まん丸の月見絵日記団子出る   多田ちえ

   (添削1) お月見の絵日記団子も書き添える

   (添削2) お月見の絵日記団子も丸く添え

作者は言いたいことを全部並べているが交通整理をすると添削句のようになる。この句は課題が「丸」だったがお月様も団子も丸いから添削1が関東風、添削2のように丸を入れるのが関西風と分かれるのは判り難い。

   (原句) 同じ物食べて当たらぬエライ我  新居悦子

   (添削) 同じ物食べて当たらぬ丈夫な胃

原句の「エライ我」は奇抜な表現でほほえましいがやはり常識的に「丈夫な胃」とすべきだろう。

   (原句) 介護され当たり前だと言われたい  泉保明子

   (添削) 介護など当たり前だと姑強気

嫁さんに遠慮しまわる姑さんが多い中でたまには強気の姑さんも居てよかろう。

ではまた次回に。

 


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