川柳は5・7・5の短詩文芸だけに川柳のほか、文芸書や歌謡曲の一節も借用され易い。
たとえば太宰治の「富士には月見草がよく似合う」という有名な一節を使って「○○には○○がよく似合う」と言う句が流行した記憶がある。それは選者がもう少し知るべきだという意見もあるが、選者も森羅万象を知るわけではないから落とし穴に入ることもある。
次に川柳に類似句が多いといわれているがひとつには題詠で作るため誰もが思いつく句を作るのも一因と思う。
ある句会でスポーツという題で
スポーツが取り持つ縁でゴールイン
という句が二つあり、もうひとつは
スポーツが取り持ちめでたくゴールイン
だった。同時に出た句だから真似たということはない。
下山弘さんの「江戸古川柳の世界」によると類似句は多々あるようだ。
降る雪の白きを見せぬ日本橋
積雪の白きを見せぬ日本橋(句集ゐんこてう)
御自分も拙者も逃げた人数也
御自分に拙者も逃げた人数也(雨のをち葉)
などをあげて説明し、これは功名心で他人の作品を借りるか、前に読んだ他人の作品が意識下に残っていて同じか類似の作品を作ってしまうものだと言っている。
さらに現代川柳が捨てたはずの賞品、賞金川柳が流行しだすと意識的な剽窃の世界が出現することも否めない。では添削に移ろう。
(原句)山寺へ行くと心が癒やされる 脇坂美恵子
(添削)癒やされて仏を拝む山の寺
作者は閑静な山寺の仏を拝んで心を癒やされたのだから添削句のように作句すればよい。句で思いを述べるというのは単に作者の感想を述べるのではなく、思いを具体化しなくてはならない。
(原句)山寺へ嫁いだ伯母を思い出す 泉保明子
(添削)山寺へ嫁ぎ説教好きな伯母
これも原句は伯母さんを述べただけで読者はそうですかというより他はない。
伯母さんが説教好きなのは生来かもしれないがお寺へ嫁いで磨きがかかったという設定はどうだろう。
(原句)住みよいかどこへも行かぬ貧乏神 新居悦子
(添削)住みよいかどこへも行かぬ福の神
貧乏神が家に棲みつくという発想は平凡だ。これが福の神なら結構なことだ。
逆転の発想も試みたらよい。それに福の神とすれば下6が解消される。
(原句)美人ですいつも写真の真中に 松岡英子
(添削)目立たない位置で澄ましている美人
自分が美人だと知っている人はあまり目立たないところに居るように思う。
勿論自己主張の強い美人はカメラの前でも真中に居るだろうが、それでは句として意外性に乏しい。写真の後列で澄ましているほうが面白いと僕は思うがどうか。ではまた次回に。