私のホームページ「せんりゅうのお部屋」の冒頭文に次のように書いている。
「川柳はにんげんを観察する詩です。にんげんは笑い,驚き,哀しむ。川柳は平凡に生活し最後には死んでいくにんげんを詠む。
また着飾ったにんげんを素裸にし、にんげんの本音を詠む。
せんりゅうはにんげんを差別せず,一生懸命に生きてきた大勢のにんげんたちの人生を読む。」
川柳人は建前の社会を何処かが違うのでないかと疑い、本音を探るのである。
例えば
親しみをこめて差し出す手が温い
ピカピカの廊下いい嫁いい姑
は善意の温かい川柳で世の中は皆善人と思わすが、ある俳人からあなたは少し斜めから物事を見るのかと嫌味を言われている私は
親しさの割りに冷たいおんなの手
ピカピカの廊下いい嫁演じきる
と作りたくなる。にんげんには心の底に善と悪が同居しているので、本音を探り出すのが穿ちの川柳と私は思っている。皆さんはどう思われるのだろうか。
以下の添削も善意で作られた句をいじって意地悪くしているのでご勘弁を願いたい。
(原句)親しいとコーヒータイム長くなり 大林美代子
(添削)友達が長居をさせる喫茶店
久し振りに会った親友に積もる話で長話しになるが、生憎片方は用事を抱えていて早く切り上げたいと思っている。イライラしていることを気づいて呉れない。これが現実である。
(原句)新婚と廊下で繋ぐお付き合い 楠本容子
(添削)新婚は繋いだ廊下気にかかり
スープの冷えない距離で共同生活をしたいというのが親の願い、しかし新婚生活の子供は特にお嫁さんのほうは間の廊下が気にかかる。何時お姑さんが顔を出すのか気が気でない。こんな気持ちの擦れ違いが爆発しなければよい。
(原句)写生帳めくる夫婦の仲のよさ 大林美代子
(添削)倦怠期の夫婦がめくる写生帳
第三者として眺めていると仲のよいご夫婦に見えるが、僕のように皮肉に見るものは黙然と写生する年配の夫婦をもう倦怠期だなと思ってしまう。本当に素直じゃないのだ。
(原句)石でさえ時に流され丸くなる 東原文子
(添削)流れ来て偏屈の石尖ってる
上流の石も流されて来て丸くなるが、どうしても丸くはならないと抵抗する石も有るかもしれない。例えば時事川柳に新聞報道を鵜呑みにして無批判に受け入れているのも散見されるがやはり自分の主張を持つ尖った石でありたいと僕は思う。
(原句)秘密などないと信じて共白髪 藤村サダ子
(添削)お互いに秘密を持って共白髪
古稀の坂を越えるまで付き合っている夫婦でも長い人生、一つや二つはお互いに言えないことも有ろう。それなりに過ごしてゆくのが夫婦である。
(原句)友達に小さな善意感謝され 脇坂美恵子
(添削)友達に小さな善意煩がれ
にんげんは勝手なもので善意でしたことでも大きなお節介ととられる。自分勝手な友達もたまには居るものだ。