やさしくて楽しい川柳添削講座 (7) 谷口幹男
昭和61年の高松市市民文化祭で開会の辞で僕はつぎのように喋っている。
「古くは川柳は笑い、穿ち、軽みの三要素といわれ、自己を詠うというよりも(もの、こと)を対象として主情的なものを抑えていましたが昭和40年代を転機として寧ろ華麗な抽象的表現による自己の感情発露が持て囃されて来ているようです。この傾向は特に女性作家の急増に結びついていったことと思いますのでやはり川柳の変質化は時代性と取るべきでありましょう。こうして現在川柳は諷刺詩というよりもそれらを包括した幅広い一行詩となり、五七五という詩器の中に多様なものを盛り込む結果になっているようです。」
では20年後の現在ではどうか、僕は60年代の延長線上にはあると思うが特に顕著なのは定年後の皆さんに持て囃されやや娯楽性の強い文芸になっていることだ。他の文芸が社会性を重視しているのに対し川柳は自分の世界に閉じこもって自分の周りにしか目を向けないことを僕も自省している。勿論時事川柳はあるがこれが新聞の受売りか世の中の揶揄にとどまってしまっているのではないかと危惧する。僕も偉そうにはいえないがかって先人が目指した文芸性の向上にお互いに頑張ろうではないか。
では添削に移ろう。
まず、作者はイメージとして頭に入っているので作ったが適切に読者に伝わるかやや疑問の次の 3 句を挙げる。
(原句)古希祝鳴り物だけのレトルトで 福田いくお
(添削)紙包み鳴り物だけの古希祝
鳴り物入りの古希祝がレトルト食品でがっかりした気持ちを詠んでいるのだが倒置法で「古希祝」を下 5 に持ってくるほうが句として安定する。また「レトルト」よりも「紙包み」として開けてがっかりしたほうが良かろう。
(原句)鐘太鼓鳴らす音色で選るホーム 貴美子
(添削)入所者を求めホームの鐘太鼓
最近はケアハウスも急増していろいろな特色を挙げて入所者を求めている。原句は旨くは作っているがなぜ鐘太鼓を鳴らすのかが判りにくい。やはり入所者を求めるという字句が必要と思う。
(原句)鳴神が来れば乙女になるチャンス 楠本容子
(添削)雷鳴へ乙女のような悲鳴あげ
添削句のよううなことをやや気取って言ったのだが原句では判りにくいだろう。
発想としては面白い句だ。
(原句)風鈴が亡母を偲んで今宵鳴る 大林美代子
(添削)風鈴がかすかに鳴れば亡母偲ぶ
下 5 の「今宵鳴る」は適切ではない。作者は風鈴の音を聞いて母を偲んでいるのだから
添削句のようにその通りに言うのが良い。
(原句)サイレンが鳴り飛び起きる外真っ赤 脇坂美惠子
(添削)サイレンが鳴ってる夜空ほの赤い
原句はお隣の人に見たことを語っている会話になっている。「外真っ赤」ではご近所の火事だが「ほの赤い」遠い火事にしてはどうか。