やさしくて楽しい川柳添削講座(9) 谷口幹男
題詠ということでちょっと考えてみよう。句会で「兼題」とか「席題」とかいって題を出されるが、これは一座の人が共通のテーマで句を作ることに他ならない。最近では句が雑詠風になって例えば「月」という題であれば「月日」「月見草」でもよいと言った具合だ。
題が要求しているのは皓皓と照る月という実体の月で月という文字ではない。月であれば何でも良いというのでは題詠とは云えない。何百人も集まる大会ばかりでは座の文芸といった色彩が薄れるのはやむを得ないが句が雑詠風に傾き、題は作句の手掛りに過ぎなくなっているのは少し寂しい。題と句の附合の妙を見たいものだ。
では僕の句会吟を新しい人たちへの参考のためにいくつか掲げよう。
(妻) 妻の唇何処に魔性があるものか
(男) 男性歌手の汗に痺れる少女たち
(元気) クレオンの元気が画用紙から溢れ
(人気) すき焼きの中で人気の無い豆腐
(樹) まだ樹液あるぞと天を向く老樹
では添削に移ろう。
(原句) 花火待つ冷えたビールと仲間たち 楠本容子
(添削) 飲み仲間寄ってビールで待つ花火
上5と下5を入れ替えることを倒置と言うが、こういう手法を利用すれば句がよくなる事が多い。できた句をもう一度考える姿勢を持つ事が肝要だ。
(原句) 金魚よりメダカ安心よ 多田ちえ
(添削) 身を守る術でメダカの仲間入り
1匹で泳ぐ金魚より群がっているメダカのほうが身を守れるのは人間も同じ、卑怯と言われても処世術としては現実的だ。
(原句) トップたち未来が読めず迷い道 新居悦子
(添削) 誤魔化しは未来が読めてないトップ
原句が言いたいことはわかるが添削句のように単刀直入に詠むのがよいと思う。
(原句) 汚すまい豊かな海に半世紀 福田いくお
(添削) 半世紀たてば豊かな海汚れ
かつて川柳と標語は何処が違うかを言った覚えがある。標語は例えば交通安全といった目的の為につくられるもので
狭い日本そんなに急いで何処に行く
などと言うが
パトカーに跳ねられ何処へ言うて行く
というのは川柳である。標語は諷刺精神を持たない。
(原句) 海近く鮮魚食べられ幸せよ 脇坂美恵子
(添削) 瀬戸内に住む喜びは海の幸
作者は自分の思ったことをそのまま述べるのではなく、思ったことをいかに句にするかを考えるとよい。 僕はよくその句を題にして川柳を詠んでくださいという。句は文章ではない、といっても初心のひとは首を傾けるだろう。これは過去の名句を詠んで体得するしかない。 そうすれば道はおのずと開かれる。